
私の原風景は、いつも本とともにありました。 外で遊ぶよりも、静かな部屋でページをめくり、ことばの中にある誰かの感情や、遠い時代の景色に触れている時間のほうが、どこか落ち着く子どもでした。 物語の筋を追うだけではなく、「なぜこの言葉なのか」「この場面で何が起きているのか」と考えてしまう。そんなふうに、ことばの奥にあるものに惹かれる感覚が、いつの頃からかありました。
大学院では中世文学を専門とし、『平家物語』を中心に研究に取り組みました。古いことばを読み解きながら、その奥にある人の感情や時代の感覚に触れていく時間は、私にとって尽きることのない関心の対象でした。
大学院時代、恩師から教わった言葉があります。 「わかったと思った時点で、それ以上はわからなくなる」 「研究とは、誰も知らないことを、誰もがわかるようにすることだ」 すぐに答えを出すのではなく、問い続けること。その中で、少しずつ見えてくるものがあるという感覚は、今も自分の中に残っています。
その後、高校や大学で20年以上にわたり教える仕事を続けてきました。授業を通して知識や読み方を伝えることにはやりがいを感じていましたが、一方で、どこかに違和感もありました。 どれだけ印象に残る授業でも、「いい話を聞いた」で終わってしまうことがある。そのとき、その人の中には何が残っているのだろう、と。 そんな思いから、少しずつ講座のあり方を変えていきました。受講生自身が自分の視点で読み、考え、ことばにすること。また、文学作品の舞台を実際に歩くことで、物語と現実が重なり合う感覚に触れること。そうした時間の中で、作品の見え方だけでなく、自分自身の見え方が変わっていく方がいることを、何度も目にしてきました。
30代半ばの頃、家庭や体調の変化をきっかけに、西洋医学以外のアプローチを探し始めました。アーユルヴェーダや漢方など、さまざまなものを試す中で、レイキと出会いました。
正直なところ、最初は半信半疑でした。 けれど、調べていくうちに、三つのことが引っかかりました。誰かにやってもらうだけでなく、自分で自分をととのえられること。大正時代の日本で生まれた、日本発祥の実践であること。そして、ヒーリングだけでなく、元は精神修養としての側面を持っていたこと。 その三つが、私がレイキを始めるきっかけになりました。
実践を重ねる中で感じたのは、何かを外から足すのではなく、自分の状態に戻っていくような感覚です。それは、ことばを通して自分の内側に触れるときの感覚と、どこか通じるものがありました。 文学を通してことばに向き合うことと、レイキを通して身体の感覚に気づくこと。一見異なるもののようでいて、どちらも外にあるものを通して、自分の内側に触れていく経験であると感じています。
現在は、高校・大学で教鞭をとりながら、文学や日本文化を手がかりに、自分の感覚やことばに気づいていく体験の場として「たなごころ塾」を主宰しています。
ここは、何かを教えるための場所ではなく、自分の内側にあるものに気づき、ことばにしていく時間のための場です。 こころとことばが出会い、自分に還っていく。そんな時間を、静かにひらいていきたいと考えています。
